BLOG ヒラノの考えごと

選択する前に。2017/06/20

病はときに色々なものを奪うことがある。

 

とくに…これまでの普通。

 

症状が出た本人だけではなく、その家族からもそれを奪うことがあります。

 

介護や看病を受ける側と寄り添う側、

それぞれの立場やそれに伴う感情。

介護や看病をする人。

 

自分がこの人をみる。

自分がそばにいる。

でもしんどい。

 

なんでこんなふうになってしまったの…。

かわいそうに。なんとかしてあげたい。

私がなんとかしなければ。

 

色々な感情が交錯するかもしれません。

 

優しく寄り添い、支えたい。

そんな気持ちはあるのに、心と体がついてきてくれないこともあるでしょう。

介護や看病を受ける人。

 

自分でできないことが増えていく、

今までと同じように生活しているのに…わからないことが増えていく。

人の手をかりないと、ただ普通に生活することさえできなくなっていく。

 

もし自分だったら…

 

こわくて、不安で、申し訳なくて。

 

どうしよう、どうすればいい…

毎日毎日、誰に問いかけるでもなく、悩み続けるかもしれない。

その恐怖から、その不安を隣にいてくれる人にぶつけてしまうかもしれない。

何もする気がおきず、ふさぎ込んでしまうかもしれない。

 

いつも通り生活しているだけなのに、

これまで通り生活したいだけなのに。

それができない。

 

でききれば死ぬまで元気に過ごしたかった。

隣にいつもいてくれる人の幸せを、自分が最後まで守りたかった。

ただ普通に、穏やかに、これまでのように一緒に過ごしたかった。

 

自分だったらそんなことを想うかな。

だから、

自分がするということを選択するのなら

相手の負の感情を予測した上で、

しっかり覚悟した上で、

決めたほうがいいのかなと思う。

 

もし、

その思いや感情を受け入れられないかもしれないと思うのなら、自分が看ないという選択も、優しさの一つなのかもしれないな。

 

ワタシも今回、

叔父のそばにいるか… 行動に移す前に

迷い、考え、自分に何度も聞いてみた。

 

ちゃんと受け入れられるの?

難しい人だし、きっと大変だよ!と。

 

その上で自分で出した答えが、今。

 

先に考えて、覚悟してから決めたから、

疲れる日も多いけど、「やっぱりな」と

気持ちも憔悴しきらず、落ちすぎず、なんとかキープできているような気がします。

 

今のこの生活、なんとなくの流れで自分が看ていたら…

すでにココロがダウンしてるかも。

 

ちゃんと覚悟してきてよかった。

あぶない、あぶない。笑