病はときに色々なものを奪うことがある。
とくに…これまでの普通。
症状が出た本人だけではなく、その家族からもそれを奪うことがあります。
介護や看病を受ける側と寄り添う側、
それぞれの立場やそれに伴う感情。
介護や看病をする人。
自分がこの人をみる。
自分がそばにいる。
でもしんどい。
なんでこんなふうになってしまったの…。
かわいそうに。なんとかしてあげたい。
私がなんとかしなければ。
色々な感情が交錯するかもしれません。
優しく寄り添い、支えたい。
そんな気持ちはあるのに、心と体がついてきてくれないこともあるでしょう。
介護や看病を受ける人。
自分でできないことが増えていく、
今までと同じように生活しているのに…わからないことが増えていく。
人の手をかりないと、ただ普通に生活することさえできなくなっていく。
もし自分だったら…
こわくて、不安で、申し訳なくて。
どうしよう、どうすればいい…
毎日毎日、誰に問いかけるでもなく、悩み続けるかもしれない。
その恐怖から、その不安を隣にいてくれる人にぶつけてしまうかもしれない。
何もする気がおきず、ふさぎ込んでしまうかもしれない。
いつも通り生活しているだけなのに、
これまで通り生活したいだけなのに。
それができない。
でききれば死ぬまで元気に過ごしたかった。
隣にいつもいてくれる人の幸せを、自分が最後まで守りたかった。
ただ普通に、穏やかに、これまでのように一緒に過ごしたかった。
自分だったらそんなことを想うかな。
だから、
自分がするということを選択するのなら
相手の負の感情を予測した上で、
しっかり覚悟した上で、
決めたほうがいいのかなと思う。
もし、
その思いや感情を受け入れられないかもしれないと思うのなら、自分が看ないという選択も、優しさの一つなのかもしれないな。
ワタシも今回、
叔父のそばにいるか… 行動に移す前に
迷い、考え、自分に何度も聞いてみた。
ちゃんと受け入れられるの?
難しい人だし、きっと大変だよ!と。
その上で自分で出した答えが、今。
先に考えて、覚悟してから決めたから、
疲れる日も多いけど、「やっぱりな」と
気持ちも憔悴しきらず、落ちすぎず、なんとかキープできているような気がします。
今のこの生活、なんとなくの流れで自分が看ていたら…
すでにココロがダウンしてるかも。
ちゃんと覚悟してきてよかった。
あぶない、あぶない。笑
ヒ